Featuring

毎日の出来事を何となく綴る日記。

 
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
05


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「残響」四




 イキルとは、毎日が雪のやうに降り積もるを云ふ也






「……『ウツロ』だね」
 うつろ?、と私はオウム返しに聞き返した。深緑色の浴衣をゆったり着流した男は、口の端を持ち上げて微笑んだ。
「そうだ。名もしらぬ、生まれもしれぬというのだろう。そういうの、『ウツロ』というんだよ。このご時世に目にかかるとは、お前も運が悪いねェ」
「……少なくとも幸運じゃないんですね? スズカさん」
 着流しの男は、「もちろん」と微笑み返した。
 境内に人影はなかった。ただ木立が夏の熱射に刺されながら佇み、その間隙を縫って蝉時雨が茹だった静寂を掻き混ぜる。時折風が吹いて木陰が揺れると、思い出したように雀が飛んだ。
 三条寺はそして大きくなく、とにかく古さが目立つ寺院である。それでもここいらの家は大体この寺の檀家のため、どこか得も言われぬ親しみがあった。本堂の裏手には墓地がある。そこに面した縁側で、私は出された麦茶を口に含んだ。ガラスのコップに結露したしずくが垂れて、ひじを伝う。
 ここの住職である涼さん――三条スズカとは、何故か旧交の中であった。といっても年齢は涼さんのほうが十ばかり上なのだが、どうやら彼が私の祖父にいたく世話になったとかで、昔からこうしてよく話をする。涼さんは基本的にこの世の時間軸からハズれたような人だ。昔ならば世捨て人とでも描写したろうか。というか、この三条寺じたいがまず、まるで異空間のようにあたりから切り離されていた。一歩通りに出ればそこはうだつような熱さで、あたらこちらに痩せて泥まみれの子供らがいたり、疲れ切った顔をした労働者がいたり、向こうの方で万歳三唱が聞こえたりするのだが、この三条寺というのは不思議で全く外界(というのも何だが)の時勢から切り離されて平穏なのだった。
 涼さんは微笑みを崩さぬままで、「夏緒ナオは昔から、不思議なエニシを引くんだね」と茶をすすった。
「結局、ゼロは何者なんですか」
「だから、『ウツロ』だと言ったろう? 大抵は飼い主と一緒なんだがね、たまにはぐれ者が出るのさ。お前はそれを拾ってしまったわけだ。『ウツロ』は生きちゃいないよ、ただ抜け殻が未練の為に動き回っているだけなんだ」
「妖怪じゃないですか」
「まあ、奇特なものに会えたね」
 彼との会話はかみ合っているのとそうでないののギリギリの狭間にある気がする。会話をキャッチボールに例えるなら、こちらから百球投げたのに一球だけ投げ返されてくるようなものだ。しかし、祖父といい涼さんといい、彼らじたいがもはやこの世の者から逸脱したような人格の持ち主なので、もしかしたら彼らが親代わりの私もそうなのかもしれない。
「ゼロという名前にしたんだね」
「手の甲に『0』と焼き印があったので」
 涼さんはそこで始めて微笑みを消して「ほう」と呟いた。それから少しばかり考え込んで、再び満面の笑みで、
「そりゃ、この上なく面倒臭いものを拾ったもんだね、夏緒」
「……どーいうことですか」
「お前の奇特な運は本当におもしろい。俺も退屈しないよ。林檎をむいてあげようか?」
 ――「要りません」、とげんなり断り、私は麦茶を飲み干した。三条寺には、このご時世でも妙にものがある。寺院にはなんだかんだと供物が集まるし、憲兵の嫌がらせもそうそう入らないのだ(涼さんなら、入られたらそれで全く気にし無さそうだが)。物不足に喘ぐ都心に比べたらましとはいえこの配給制のご時世、独り身であんなまったく客入りのない古本屋を営む私がある程度飢えずにすんでいるのも、涼さんのお陰かもしれなかった。
「ずいぶん衰弱してて、今私の家で眠りこけいますよ」
「ははあ、随分懐かれたことだね。なにか優しい言葉でもかけてあげたのかい」
「……何を期待してるんですか」
「うん? 夏緒も良い年頃だから、そちら方面でおもしろいことは起きないのかと」
「せめて戦争が終わるまで起きません」
 満面の笑みの涼さんにそう切り返して、私は腰を上げた。むしろ、涼さんにそういう方面のことが全くないほうが心配だ――いや彼のことだから、明日突然結婚すると言われてもさして驚きはしないが。飲み終えたコップを、墓地の端にある水場(桶や尺を洗うところだ)で注ぎ洗う。
「ああ、そういえば――申し訳ないですけど、浴衣を一枚貸してもらえますか? ゼロの着るものがなくて」
「ああ、構わないよ。その代わり、そうだね――お前の所、ワーズワスの詩集はあったかい?」
「ええ、……確か」
 そう答えると、涼さんは自分もお茶を一口すすり、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、それとドストエフスキーを一冊。このご時世に外国の詩集を売ってるのはお前の古本屋くらいだからね」
 「売れ残ってるだけですよ」、と私は苦笑し、涼さんから浴衣を一枚受け取った。祖父の趣味だと思われるが、うちの古本屋にはやたら海外文学が陳列されている。その読み手といえば、今となっては涼さんしかいなかった。

 帰り際、私がちょうど門を出たあたりで後ろから声がかかる。涼さんが、呼び止めておきながら実にゆっくりと歩み寄ってきて、私の手に赤く熟れた林檎を握らせた。
「これ、例の無印くんにあげなさい。それと、夏緒、悪い知らせだ」
「悪い知らせ?」
「今し方ラジオで放送があってね。サイパン島が堕ちたそうだ」
 涼さんは変わらず穏やかな声でそう告げた。そのせいもあったのだろうか、私は別段体の芯からの驚愕には襲われず、ただ呆然と「ああ」と短く頷いただけだった。この地から遙かにはなれた南海に位置するサイパン島はこの国が掲げる絶対国防圏の重要な一角であったが、あまりにも遠い土地の悲劇は、ゼロを庇ったときの心臓の震えに比べれば実に矮小であった。制海権を失って、さらに米国に空襲の拠点をもついに与えてしまったことになるという事実はすぐに理解できたが、それすら私の驚きと恐怖を喚起するにはほど遠い事実であった。
「これから、空襲がひどくなるだろうからね。この寺は安全だから、もしもの時はここへ来なさい」
 涼さんはそそう微笑み、「じゃあね」と首を傾げて境内へ戻っていった。私がこう、外界からの様々な刺激に対して寛容――いや、鈍感であるのは恐らく多大に彼の影響なんだろう。あと、あの時間がとまった古本屋で、死んだ本達と飽和した時を過ごしているからだろうか。
 間もなく東京だけでなくこのような片田舎まで範囲を広げた米軍の無差別空襲がもたらされる日本上空は、その日も呆けたような蒼であり、涼さんのくれた林檎はすこし熟れすぎたような、甘ったるい赤を放っていた。




 帰ってみると、件の青年はいなくなっていた。そのかわり、
「…………まだ泥棒の方がマシだわ」
 私は古本が土間に散乱した悲惨な我が家にそう嘆息した。古本達は、祖父の代から少しずつ積み上げられ、本棚に詰め込まれ、全てにおいて絶妙なバランスを保って陳列していたのであって、もとその一点でも無理に崩せば雪崩のごとく崩壊するのである。私は幼い頃から本達の力点を察知し、雪崩を起こさない方法を心得ていたが、ゼロはまるでなってなかった。いや、当たり前だが。
 というか、何を思ってここまでばらばらのぐしゃぐしゃな惨状を生もうと思ったのだろう、というくらい、古本たちは床中に散らばり、棚から今もどさどさ崩れ、埃はもくもくと立っていた。
「片づけさせなきゃ」
 私はとりあえず、彼を捜すことにした。もともと憔悴しきっていたし、あの目立つ着流し姿だ。すぐに見つかるだろう。家の中にはいなかった。下駄をつっかけて玄関先へ出る。
 私の家は土手の先にあるが、すぐそばを川の支流が流れていて(といってもほとんど用水路のなごりようなものだ)、その川の周りは土手の名残の、柔らかい芝生に囲われている。
 黒いやせっぽちの背中はそこで座り込んでいた。どうやら、じっと川の流れを見つめているようだ。
「ゼロ」
 呼びかけるが応答がない。そういえば、この呼び名は私がかってにつけたのだったと思い立ち、名前のない不便に嫌気が差す。仕方なく、「ねえ」と呼びかけ、「ちょっと」と近づき、「ゼロ」とやっぱり名を呼んだ。
「おとなしくしてろって言ったでしょう。なにをあんな大暴れしたの? 片づけなさいよ」
 ゼロはやっぱり無言だった。ただ一心に弱い水流を眺めていた。じりじりと照りつける太陽は、彼の黒い背中を焼いているのに、彼といえば汗ひとつかいていなく、うっすら陰のさす、頬のこけた顔つきはどこか髑髏を想起した。私は細く息を吐いて、
「あれでも一応商品なんだから。後で一緒に片づけるわよ、ゼロ」
「それ」
 突然ゼロが口をきいた。彼の第一声であった。青年の容姿に違わず、大人と少年の間にある不安定な低さを持つ声だった。
「なんだよ」
 そして外見通りのぶしつけな言葉使いであった。私は小さくため息を吐いてから、彼のいう「それ」がゼロいう名を指しているのだと解釈して、ゼロの左手を示した。
「あなたのことよ。だって名前聞いたのに首振るだけじゃない」
「……ナマエって、なに」
 ……これは重傷だ。私はどうにもならなく、こめかみのあたりを掻いた。
「知らないわ。昔からこの世界にあったもので、私だって知らない間に勝手につけられてたの。だからあんたにも知らない間に勝手につけておいたわ」
 彼は分かったのか分からなかったのか、それとも聞いてもいなかったのか、ふぅんと言っただけであった。涼さんがいう『ウツロ』(しかも妖怪もどき)なら、なるほどこの世界の常識はゼロにはまるで通用しないのかもしれない。今更ながら、涼さんに不運だと言われたのが分かってきた。
「そんなんじゃ、野垂れ死ぬのがオチでしょうから、しばらく休みなさい。助けちゃった責任があるから、私が世話するわ。名前つけちゃったし、着物も涼さんから借りてきちゃったし」
「じゃあ、だれを殺せばいい?」
 唐突にゼロが聞いた。私は「はぁ?」と首を傾げて、彼の黒い瞳わまじまじと見つめた。白い肌はまだ泥に煤けたままだった。
 私の驚愕に、ゼロは初めて表情らしいものを顔に浮かべた。困惑、という表現をするには微かに過ぎただろうか、そんな顔だった。
「さっきオレを殺そうとしたやつか? それとも、空を飛んでたやつか? それとも、それをくれたやつか?」
 矢継ぎ早に言いながら、ゼロはふらりと腰を上げた。「それとも、おまえ?」と彼は呟いて、黒い瞳でじっと私を見る。もしかしたら、あどけないという形容すら当てはまってしまうほどの童顔の中で、黒い双眼が何か暗渠を横たえていた。吸い込まれたら最後、底なしの淵へ取り込まれてしまいそうに、危うい不安定さを感じる。
「……コロスとか、そういう言葉ばかり知ってるのね」
 私が努めて平静を装った言葉に、ゼロは不思議そうに口をつぐんだ。
「じゃあここにはもっとたくさんの言葉でもあるのか?」
 「あるわ」。私は即座に答えていた。
「あなたが散らかした本たちの中に、いくらでも存在しているわ」
 こればかりは、ほとんど廃屋同然といったって曲がりなりにも古本屋を営む私が、胸を張らねばいけない台詞だった。今度は「ふぅん」ともいえずに首を傾げるゼロの手をさっさと取って、私はぐいぐいと引っ張った。
「帰るわよ。散らかしたからには片づけてもらうからね。ついでにお風呂にも入ってもらうからね、汚すぎよ」
「ゼロ」
 「うん?」と私は振り返った。名前に不服でもあるのかと思って、彼の黒い瞳を見つめ返した。いつの間にか、彼の瞳からは暗渠がきえ、光を反射した年相応の顔になっていた。
 彼は私の目をまじまじと見て、「ゼロ」ともう一度呟いた。さらに意味がわからなくて、暫く同じ事を繰り返したが、やがてゼロが、私の名前まで「ゼロ」だと思いこんでいるということに気付いた。彼は必死に私に呼びかけていたのだった。
「違うわよ。ゼロっていうのは、あんたの名前よ。あんただけのものなんだから」
「……オレだけの?」
「そうよ。誰にもあげちゃだめだからね。しっかり持ってなさい」
「じゃあお前はなんなんだ」
 まったくだ。私はそういえばと思って、ゼロの腕を握る力を少し緩めた。
「ナオ。井上夏緒。ナオでいいから」
 ゼロは「ふぅん」と言って(たぶん、未だ名前の定義をよく理解してないんだと思う)、「なお」と丁寧に発音した。それから何度か「なお」を繰り返すと、再び私の顔を見た。
 その時、ゼロはまだまだ無知で、未熟で、幼稚だった。そして無邪気であった。とても短かった夏の間に、彼は多大に成長したけれど、その無邪気さは生来のまま最後まで霞むことはなかったように思う。
「ほんとだ、言葉、いっぱい」
 ゼロはそう心底驚いたように言い、今し方習得した新たな名詞にとても満足したような顔をした。微笑にはほど遠く、しかし無表情にしては勿体ないくらいの、不思議な顔をして、ゼロは私の名前を一番に覚えてくれたのだった。





……長くなっちゃった……。もしここまで読んでくれてる方がいたら握手してサインしてもらいたい。林の文章はとっつきにくくて読みにくいっていう定評があるからな……!!
<どうでもいい設定>三条さんちは分かる人は分かって頂けるかもですが、『墓守』シリーズ(?)の三条さんちと同じです。あと『ウツロ』って単語も知ってる人がいるかもしれないです……ね! ついでに三条さんちは「ハルシオン・ブルー」にもちらっと出てます。こちらは多分にパラレル設定ですが。ちなみに三条さんちは涼→皐→久と世代交代します</どうでもいい設定>
十二月になっちゃいましたね、何もせぬ間に。あーあ。あーあ……。どうしてこうダメ人間なんだろう……。

スポンサーサイト


プロフィール

林

Author:林
いらっしゃいませ
こちらは林鉄のぐだぐだな日記です。
主にネタメモ、突然ネタメモ

オタクなこととかやおいなこととかきもちわるいこととか普通に言います
やな人は帰ってください

●文芸部特別企画
第一弾
流離人外伝

第二弾(完走!09'12)
夢十夜

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
手書きブログ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。